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2012年6月27日 (水)

迷惑かけずこときれたいのだ

法務局に行ったら、いつも私には怖い登記官様(男)が、若い女子司法書士にはやさしく補正を指示しているのを目の当たりにして、ちょっとぼんやりしてしまった所長です。

|゚з゚) チェッ

さて。

今日の日経夕刊の「さらりーまん生態学」で、江波戸哲夫先生が、膝を打ちたくなるようなことを書いておられました。

今回は、ギリシャ人の緊縮財政反対に関する疑問から始まり、他人事ではない日本の財政危機等についてお友達と議論を交わした内容と、江波戸先生の意見がつづられているのですが、そのなかで、日本がいわゆる「福祉国家」を理想とかかげることについて、次のように書いておられました。(以下原文ママ。()内及び傍線は私)

「世界中がその像(「ゆりかごから墓場まで」を理想とする福祉国家のこと)に目を眩ませここまできたが、どうやらそれは資本主義のある時期、少数の先進国のみ夢見ることのできた幻だったようだ。」

福祉政策の乏しかった遠い昔でも、人々はそれなりの生活を送っていた。そこまでを視野に入れてカネばかりかかる福祉を見直さなければ、どの国もやっていけなくなるだろう。」

というものです。

人は、自分がどのステージにあっても、そのステージで得られる利益は手放したくないものです。私もそうでしょう。

そして今、日本の福祉は、人というのは、一生、医学的な意味においてのQOL(生活の質)を維持し、長く生きながらえることが一番の幸福であるという視点にたって政策が立てられ、実行されています。

本当にそうなんだろうか!?

たとえば私が老人になって、自分では何もできないということになったとき、それでも、たった私ひとりのために、ある若者の年収にも匹敵するようなお金(介護保険)を使って、それでも生きていたいと思うだろうか。

もし、今のままだったら、それを望んでしまうかもしれない。自分のことしか考えられないだろうから(ギリシャ人と同じだ。人ってそんなもんだ)、「私ごときにお金を使うなんてもったいないから切腹します」なんていわないと思います。欲深いから。

でも、国家自体が、そういう医学的QOLにこだわった、結局手取り足取り介護保険のお世話になるという政策から脱却すれば、人は、そんなもんだというふうに受け止めて人生を生きるような気がするのです。

なかなか、福祉を見直す(もっと軽くする)という方向には進まないと思いますけれども、後見人などをしていまして、年に何回かくる『「介護保険」や「医療費」の負担のお知らせ』を見て、その保険が負担する金額にびっくりしながら、保険制度の限界を憂うのでありました‥。

ちゃんちゃん。

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