法律は、自分の身を守るもの
会社に請求する司法書士の報酬。いったん出していた請求書ですが、「源泉ほにゃららして請求書出し直してくださいね」と言われ、「ハ?それはいったい?」
ほにゃららが既に脳に残っていませんが、常識なんですかこれって…やり方いまいちわかりません。新米バカ丸出しの今宿法務事務所長(部下ナシ)です。
昨日の日経(またか…)を読んでたら、石田穣一さんを紹介するコラムがありました。この方は高等裁判所長官などもされた(福岡高等裁判所も)方なのですが、現在は引退して沖縄に暮らし、「ゆたかはじめ」さんの名でエッセイなどを書かれているようです。
そのなかに(引用、ではなく思い出し書き)「法律は人を守るために作られたはずなのに、いつのまにか相手と争うためだけに存在しているような気がしていやになった」みたいなことが書いてありました。
最近、私もとみにそのことが気になるお年頃でして、最近のブログにもアイムソーリー法だの村上ファンドはどーなのよだのと書かせていただいておりますので、石田さんのコメントのこの部分、とても印象に残りました。
私はこの仕事がイヤと思うことは、今のところありません(わからんから自分がいやになることは多すぎ)が、このコメントは、私の迷いを少し解決するヒントになったような気がします。すなわち、仕事のスタンスとしては、法律を「相手を責めるもの」ではなく、「自分の身を守るもの、幸せにするもの」として使う、みたいなことです。
抽象的ですね。しかし具体的にどうすりゃいいかは自分でも全く見えてませんが、仕事やりながら、少しずつわかっていくかもしれません。
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